2020.10.27
コロナ下の補習授業校の学校経営 ~第一部 始業式から夏休みまで~
ジュネーブ補習授業校 校長 齋藤 寛
1.はじめに
私が2020年度の海外派遣に応募したのは、2019年の春の頃だった。私にとっては3回目となる文科省の海外派遣は、およそ1年間をかけてじっくりと行われるプログラムである。時間をかけるのは、それだけ慎重に厳密に選考し、研修を重ねるためだろうと思われる。
この1年は実は私的にも様々のことがあった年となるが、国内的には新しい元号が制定され、大分のラグビーワールドカップや茨城国体が見事に行われ、次年度のオリンピックに大いに弾みがついている状況であった。平成になったときのように日本中がまたよい時代が来ることに期待をし、その国民の願いはオリンピックの実現とともに現実のものとなるはずであった。
年が明けた頃、中国武漢で新型肺炎が発生したニュースが聞かれたが、多くは気に止めなかった。オリンピックセンターの研修会の閉会式で、担当官から駅等を経由して帰宅される方は、気をつけてほしい旨のアナウンスがあったときに、なんとなくいやな予感が走った。
2.ジュネーブ補習授業校について
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3.対応の実際
この章では、本校の対応の実際を時系列で報告する。
1)学校閉鎖継続とオンラインホームルーム・オンライン授業開始まで
2)オンライン授業開始(オンラインホームルーム)(4月14日~4月26日)
3)オンライン授業第1期(4月29日~6月6日)
4)オンライン授業第2期(6月10日~7月4日)※夏休み開始まで
5)開校を目指して環境を整える(夏休み期間)
(1)学校閉鎖継続とオンラインホームルーム・オンライン授業開始まで
本校は、3学期末のロックダウン後、登校したのは卒業式の当日だけである。前校長は、卒業式後に帰国できるギリギリの日程で3月17日に帰国した。3月20日頃の時点では、後任校長の派遣は予定通り(4月7日)であったので、後任校長の赴任まで半月の不在期間を経て新学期より校長の任に就くつもりで、引き継ぎを行い準備をしていた。
①派遣延期から市役所勤務(4月1日~8日)
州政府の方針により、新学期からも学校の閉鎖は継続された。また、帰国予定の世界中の在外教育施設の全校長が3月末に帰国後、半月ほどの校長不在期間があることは、元々の派遣制度上どうしようもないことである。当初4月7日であった新校長の赴任が延期となった文書が届いたのは3月27日であった。市教育委員会から連絡があり、派遣待機の間は前任校か教育委員会のどちらかを選択して勤務ということになった。同じ立場の同県内の校長職の者に相談し、私は後任への配慮から市役所勤務を選択した。
前任校の引き継ぎを滞りなく行う。31日の最終日には、コロナのため校内でお別れ会を行ったが、それも辞令交付のため中座し、市役所に行く。市役所で退職辞令を頂く。
4月1日から守谷市役所教育委員会での勤務が始まる。自分が教育委員会にいてできたことは、市の方針決定に立ち会ったり、そこにわずかながら意見を述べさせていただいた点である。また、教育委員会にかかってくる市民(保護者)からのクレームの電話の実態がつかめた点である。また、市役所内部での合意形成や政策立案の過程が垣間見られたことも大きな収穫であった。しかし、政府が緊急事態宣言を発するに当たって、同僚の同じ立場の職員と相談し、今後の現地とのリモートでのやり取りは時差がある点や、感染リスクを考慮して、市役所勤務から在宅ワークへの切り替えをお願いし承諾を得る。
②命令系統の統一のために
運営委員長と新旧の校長の相談で、新校長の着任までは、帰国した旧校長が、学校の運営に当たることが確認された。多分私では判断に迷うであろうことは想像できるし、命令系統の一本化を図り、混乱をなくすためである。私には、前校長の負担や遠慮のないよう事前相談は必要がない旨を伝え、事後報告のみということにしてもらった。(この時点では、見通しの甘かった私は、そんなに遅くない時期に派遣されると考えていた)
運営委員長こそがこの間最も苦労をおかけした方である。教頭教務という立場のない本校の運営を一手に引き受けてくださり、学校の閉鎖を決断し、オンライン授業を主導し、更に閉鎖継続を決断し、職員の生活を保障し、学校の経営を一手に担い、保護者の思いに寄り添って頂けた。誰もが経験したことがなく判断に迷うことばかりだったと思う。その渦中で、ユーモアを絶やさずに落ち着いて学校経営をされていた。委員長なくして、この間の学校経営はあり得なかったと考えている。
(2)オンライン授業開始(オンラインホームルーム)(4月14日~26日)
4月の始業式から、学校閉鎖は継続され、オンライン授業を継続することになった。そこで問題となるのは、ただ閉鎖するだけではなく授業を継続させていくことを考えなければならない点である。
始業式の式辞の代わりに、日本からビデオメッセージを録画し送った。ここから自分のジュネーブ補習校の校長としての仕事が始まった。
①職員全員がオンライン授業に対応できる体制を作る
本校では、「漢字クラブ」と称してオンラインで漢字検定を目指す子供達に指導をすることが、自主的な教師の取り組みとして数年来行われきた。そのことをヒントに前校長がオンライン授業をおこなうことを決定した。ただし、そのためには周到な準備が必要である。オンライン授業が成立する前提には、
(ア)子供達のオンライン授業ができる環境
(イ)職員側にオンライン授業ができる準備
が必須である。オンライオン授業が日本で拡充しないのは、全家庭に環境がないということが足かせになっている。しかし、海外はこの点恵まれている。ただし、保護者も在宅ワークになる場合もあり、兄弟がいれば兄弟の分だけデバイスが必要になるということにも配慮しなくてはならなかった。
また、職員全てがITに長けているわけではなく、研修が必要になる。そのため、4月13日からの1週目と20日からの2週目とを「オンラインホームルーム期間」として、職員の準備週とした。この2週間の猶予期間は、各学級ごとに自宅にいる担任と同じく自宅にいる子供達とが顔を合わせての1時間程度のホームルームを行った。
私は、顔を隠して全学級のホームルームを参観できた。(ばれてしまって自己紹介したこともあった)各学級ではホームルームと銘打ってはいたが、内容は「学級活動」を超え、先生方は授業を進めて行くことを行っていった。私にとっては初めての体験だったので新鮮な気持ちでオンライン授業参観を行った。
本校職員の士気や研修意欲は高く、技術は向上した。
②信頼や安心安全の前提は適切な情報開示
「教育に力があるとするならば、その源は信頼である」という。その信頼の源は、適切な情報開示からであると考えている。人は情報がないときに恐れたり疑ったり、不安に見舞われたりする。情報開示こそ、全ての基礎になることである。
今年度の本校の目標の一つが「談る(かたる)学校」である。談の中に込められた炎という字のように熱い思いをもって保護者に語っていくことを目標にしている。
「情報開示」こそが、私が最も気を配る点である。そういう意味で、日本での国内待機中から、メッセージを発進し続けることが必要であると考えた。待機中の校長便りは毎週1回以上と心に決め、赴任までに14号発行した。
内容は、日々雑感が多いが、雑感に込めて保護者への啓発を行うことが本当の意味での狙いであるので、『オンライン授業の約束』『STAYHOME』(SからEまでを折り句にしてステイホーム期間中にすることをしめしたもの)などを発信した。(これは全世界の補習校ネットワーク(AG5)に提供した)
(この校長便りの件は、別に報告を行う予定である)
(3)オンライン授業第1期(4月29日~6月6日)
①オンライン授業の始期の留意点
オンラインホームルーム期間の成果を元に、本格的に時間割を作り、オンライン授業が開始された。実は「時間割表」を作ることがこんなに大変だとは思わなかった。オンライン授業であっても通常の補修校の時間帯がよいとされた。そしてまず、その学年にあった授業時間を設定し、兄弟間のバランスや休み時間の配分など様々な制約のなかで時間割表を作成するまでもかなりの時間が必要だった。これは現地やICTに長じた担当者のすばらしさである。
校長としてはこの期間に特に意図したのは、多くを求めないことだった。期待値を下げておくことは後々必要なことだと考えた。そこで最初のキャッチフレーズは「つなごう」とした。子供達や保護者そして、職員を取りこぼさないようにハードルを思いっきり下げて、とにかくネットでつながることだけ求めた。
②オンライン授業の目的
前校長がおっしゃったように、オンライン授業の目的は、決して学力の向上ではない。外国の地で家族だけの家の中で、補習校の存在を感じてもらい、「子供を励ます」ことに帰結すると考えた。
③常に開校に軸足をおく
「政治家は常に次に何が起こるかを予想できなくてはならない」はチャーチルの言葉である。経営者は常に一般大衆よりも先のこと、更にその先のことを視野に入れなければならないということである。学校を閉じる時には、学校を開くことを同時に考えていかねばならない。またそこを考えた後は更にもう一度閉じることを考えておかねばならない。オンライン授業は、学校にとっては緊急避難的な弥縫策であると考えられているのではないかと思っている。そういう意味で、常に軸足は開校に置いていくことにしていた。
開校のために保護者に対し、安全安心を具体的な方策とともに提示し、支持されなければならないのである。それを具体的に成果を上げながら迅速に行うことは大変なマネジメント力が必要であると感じた。校長はまだ日本にいて、どんな人となりか分らない。元々そんな力は無い、現地運営委員会と緊密な連携を取りながら、保護者の不安を小さくするためには、日本にいることを逆にPRポイントにして校長の存在を示していかねばならないと考えた。そこで前述の、肉筆の「学校便り」を私信の形で毎週発行し続けた。日本から発行した『学校便り・手をつなごう』は、14号になった。
(4)オンライン授業第2期(6月10日~7月4日)※夏休み開始まで
①オンライン授業の継続
運営委員会では、この第2期からの閉鎖解除をかなり真剣に模索した。そのための準備もかなり早くから周到に行った。まず、リスクアセスメント作りを行った。もう一つが学校管理体制を整えた点である。
運営委員会の保健担当者を中心に、詳細な校内のリスクを検討し、そのコントロールの具体的な方策を立案していただけた。(後に開校となるときにも、この時の調査検討が大きな踏み台になった。)
この時期だと校長派遣がないままの開校ということになる。本校のように校長の一人派遣の学校で、現地に教頭や教務主任を置かない学校では、学校の管理者を現地に置かなければならないのは、簡単なことではなかった。まず、役職を作り人選を行った。
もう一つ、3月から閉鎖をしたために、今年度の教室の準備ができていない点が上げられる。本校の職員は週に2日の勤務である。また、職員は近くに住んでいる者ばかりではなく、電車で2時間かけての通勤者もいる。フランスからの越境通勤者もいる。ロックダウン状態でもあり、校舎に立ち入れない状態が数ヶ月間も続いているため、教室準備のためにはオンライン授業を1回か2回(1~2週間)休まなくてはならない。
本校の素晴らしい点は、保護者地域の教育力の高さである。どの分野にも世界をリードする超一流の人材がそろっているのがジュネーブである。運営委員会では、詳細な保護者アンケートを元に素晴らしい議論が交わされ、論を尽くして閉鎖継続を決した。
(運営委員会の詳細は別に報告をつくるつもりである)
②オンライン授業のギアチェンジを図る
オンライン授業を継続することが決定されたが、その継続には当然ながら反対意見も多く、不満をメールで送ってくる保護者もあった。そうした保護者には、委員長と相談の上、日本から国際電話をかけ直接お話しして理解を頂くようにした。
このいわば第2期のオンライン授業では、脆弱性が指摘されたZoomにかわり、Webexをプラットホームにして行った。私は初めて触れる分野だけに、研修部の専門的な話に耳を傾け、運営委員会に相談した。保護者は多少の混乱があったが、よくついてきてくれたと思う。今までの学校への信頼が厚かったのだろうと感じた。
オンライン授業を継続することになったら、とびきり素晴らしいオンライン授業を行いたいというのが本校の積極的な研修部や皆さんの夢である。そこで、海外子女教育振興財団の行ってくれていた「AG5」研修会に早くから参加させていただいた。この研修会から得られた知識や情報は価値があった。また、世界中で悩む補習校の先生方に本校で開発作成したものを提供することを惜しみなく行っている教材の質を充実させたり、外部から講師を招いてオンラインでの講演会を行った。また、学習参観に代わるオンラインでの学級懇談会を行った。また私自身もインタビューの対象者になったり、手紙を書く相手になったりと授業に出番を作ってもらった。
更に、マイクロソフトTeamsを知るところとなり、教材の提供や宿題の提供をこれを通して行うことにするなど、今までの各自で進めてきた成果を集結させて、素晴らしいオンライン授業が展開された。
最終週には全学級で「オンライン終業式」を行った。現地の終業式担当者からの要望では、七夕も近いので画像の背景に七夕飾りを作って、校長の式辞に代えてその年代ごとに違うパターンのお話しや替え歌をプレゼントしてほしいという、なんとも高い要求だった。言われたとおり、笹飾りを作り、歌を考えた。30クラス全てに乗り換えながら日本からの生中継で語った。主題は「家族が一緒にいられる。そのことだけが幸せ」ということである。コロナ禍でこそ感じていることだからである。
”七夕の歌”
3番は替え歌
世界の子供 願いを込めて お星様かなえる みんなの夢を
”リリーマルレーン”
①あの年の思い出は 家族で過ごした ステイホーム
明るい朝 静かな午後 豊かな夕べ ホームスイートホーム
②夜空に星の灯るころ レマンのほとりの ふるさとの家
流れる星に 願った幸せ ホームスイートホーム
(5)開校を目指して環境を整える(夏休み期間)
開校を延期したことによって得られた時間を開校の準備にあてることができた。オンラインの第2期への継続が決まったときに、オンラインで職員に語ったのは、次の通りである。
・コロナは去ったわけではない。安全安心な学校作りを推進しよう。
・オンライン授業を思い出だけで終わらせない。その遺産を生かす2学期にする。
・2学期こそが新学期。出会いを大切にしよう。
・今が好機。働き方改革を一気に推進しよう
学校は閉鎖しているよりも開校してからの方が当然大変である。それは、日ごとに復興の足跡が残っていく東日本大地震の場合とは違って、感染リスクが去ったわけではないからである。そこで、オンラインの時に開始した「保健委員会」〈日本の学校保健委員会のこと)を正式に組織し、保健衛生の管理を徹底した。これも自分から提案したのではなく、運営委員会からの自発的な自然発生的な提案であった。これはひとえに保健アドバイザーのおかげである。
また、新学期が始まると早速、MSのTeamsを使うことで学校のシステムの近代化を図った。これはICサポーターや本校研修部のおかげである。ICT部門では、それまで事務職員の業務を著しく圧迫していたメール配信や宿題の受け渡し等をTeams上で行うことにした。また、現在各種手続きや欠席報告等も事務さん発信ではなく、学校アドレスで発送が可能になった。
4.各部の活躍
「かくも長き不在」というフランス映画があったが、そもそも学校管理職は何かがあったときのためにいるのだから、校長の長期の不在は、学校経営に大打撃であり、未曾有の事態に際して学校にいられないこと自体が大きな不幸であった。しかも、見通しの立たない中での国内待機は、大きなストレスであった。自宅周辺の小中学生を見る度に、自分も海外なんか目指さずに国内にいれば、今頃はこんな学校経営をして・・などと考え、目の前に子供も学校もない事態をうまく消化できずに、日本人学校に行くことを後悔もしていた。それを支えてくれたのが、これから述べる言わば戦友ともいうべき仲間達である。
まず、リモートによっての学校経営の要諦は、現地に適切な相談相手を見つけられるかどうかに大いに関わってくる。そして、組織を作ったり、作った組織を動かしたりすることが必要である。日本の校長時代に高熱で3日ほど休んだことがある。そのときは、解熱剤が効いている時間帯だけベッドから、携帯電話やパソコンを使ってのリモートで教頭教務からの相談に答え、指示をして、何とかしのいだ。けれど今回は、まだ行ったことがない国の行ったことがない学校で、会ったこともない職員や子供や保護者である。途方に暮れるところからの遠い出発であった。軍手をはめて針の穴に糸を通すようなままならないもどかしい作業がリモート学校経営の感覚に近いと感じた。
しかし針に糸は通さなくても大した影響はないが、学校は現実的に存在し、児童生徒職員保護者は、校長を待っている状態であった。まずはじめに、私の遠距離学校経営は、相談する相手探しから始まった。そして、前校長・運営委員長とは緊密に連絡をとり、徐々に手探りで組織を作っていこうと思った。両者とも私の素人っぽい意見に真剣に耳を傾けてくれ、また率直に意見を言っていただいた。以下に述べるのはそのいきさつである。
(1)研修部(検討チーム)
オンライン授業をスタートさせ、軌道に乗せるために、真っ先に必要になった部署である。本校は大変知識のある研修部のリーダーに恵まれ、オンライン授業の青写真を描いてくれていた。全てゼロからのスタートであり、何もないところから全学級のオンライン授業を企画し、全職員に研修を行うなど、率先して動いてくれた。校長には知識が全くないため、研修部員の力は大きいと感じた。
また、オンライン授業で更に良い授業を追求しようという意気込みも強く、独自に研修会に出席したり、職員研修を開いたり、オンライン授業での可能性を追求していった。日本から隠密で度々参観させていただいた。その都度ごとに、子供達の集中の素晴らしさに感激した。また先生方の隙のない教材の準備に感激した。
管見ながら、考えうる最高水準のオンライン授業システムを構築し、授業が展開されていたと自負している。
また、次のレポートにまとめようと考えているが、研修部では「オンライン授業の遺産」を開校した後の学校経営に生かすことを実現した。その成果で、学校は画期的に機能的になり、学校本来の機能への集中が飛躍的に図られるようになった。
(2)生徒指導部
①教室・教室の受け入れ準備
運営委員会では、オンライン授業を行うことを決定し、次いでオンライン授業の継続を決定した。この間、一方ではオンライン授業を実施しながらも、学校は直ちに開校準備も同時に進めねばならない。開校準備は、具体的にはハード面とソフト面とがある。
ハード面では、校舎に子供を安全に受け入れ、授業を行うための環境や教材等の準備である。ソフト面では、本校での対面式の授業に当たってのリスクを検証し、管理する仕組みを作る点である。生徒指導部では、このうち主にハード面を受け持ってくれた。
この生徒指導部の活躍はめざましく、保健アドバイザーの助言を元に、開校までの準備の計画を練り、職員を手配し、昨年度から一歩も踏み入れていない校舎内部の清掃や、教室準備の実際の仕事を細々と献身的に行ってくれた。子供達や職員にとっても、オンライン授業をやっているとはいえ、事実上の新学期である。物心両面での準備が必要であった。
②管理責任者
管理面での大きな課題が、校長が日本で待機状態で、学校に管理責任者が不在であるという点が指摘された。運営委員長は優れた方で人格者であり、既に4月当初から校長の不在時の職務代理者であったが、本務があるので、責任者にはなり得ても、開校後に実際に学校にいて指示し、判断をするわけにはいかない。そこで、前校長とも相談し人選を行い、生徒指導主担当(日本の生徒指導主事)に管理責任者を依頼した。管理責任者は、実際に子供達が通っているときに、熱を出したり気分不快を訴えたりしたときに、早退の判断をしたり、場合によっては学級閉鎖の具申をしたりもすることになる。
③コロナ下の学校行事
生徒指導部は、学校行事を担当しているため、始業式や入学式の計画も立てた。
始業式は、開校後に放送で一斉に行う。まだ行っていなかった入学式を2週目の授業時間に、各学級ごとに合計10回、保護者なしで入学生のみで行う。式次第は、2分くらいの校長の挨拶のみ、場合によって歓迎の言葉を入れる。その後写真撮影。10~15分くらいで終了。(日本の学校もこのくらいシンプルにできるのかもしれないと思った。)
この生徒指導部の活躍はめざましく、開校までの準備の計画を練り、職員を手配し、昨年度から一歩も踏み入れていない校舎内部の清掃や、教室準備の実際の仕事を細々と献身的に行った。
コロナでの学校行事での配慮すべき点は以下の通りである。
・常に感染防止策を講じる(保健委員会で管理する)
・オンラインの積極活用
・働き方改革を一気に実現していく機会にする
(この項目では今後別のレポートを作成させていただきたい。)
(3)保健委員会
ハード面での充実に加えて、更に重要なのはソフト面での準備である。この両面での準備をバランスよく進めてこそ、学校は保護者に安全安心を語れるし、開校の方向に向かえる。安全安心の提供は全世界の日本人学校補習授業校が直面している課題である。そこで、本校は、先に述べたように保健委員会(日本の学校保健委員会)を立ち上げ、本校の開校準備を中心になって推進することにした。
①成員
医師(補習授業校の保健アドバイザー・小児科医)・校長・生徒指導主担当(日本の生徒指導主事)・生徒指導部員(日本で養護学校勤務経験のある教員を当てた)の4名
②教室や校舎の受け入れ準備
今までの新学期とは違い、保健衛生面での十分な管理が必要である。手洗いのポスターの掲示・マスクや消毒薬の準備・蓋付きゴミ箱の購入設置・教室内のソーシャルディスタンスがとれるよう、机の間隔や教師の位置のテープ表示・なども一つ一つ手作業で丁寧に行ってくれた。
③保健便り『元気一番』の発行
この保健委員会の活動で更に優れている点は、保健便り『元気一番』を毎週発行して、そこに必要な情報を流したり、校舎に立ち入れない保護者への情報提供を行っているという点である。この発行の効果は大きいと感じている。
「安全」と「安心」は違う。コロナにかかわらず完璧な「安全」はない。ましてまだ解決の糸口にすら届いていないコロナでは「安全」は程遠い。であるなら、少なくても「不安でたまらない」という状況から、「少し心配」くらいのレベルにまで保護者の心を誘いたい。それこそが情報の力だと私は考える。情報は勿論、学校として責任をもって確実に正確でなくてはならない。しかし、「情報」は単なる「事実」ではない。「事実」を精査統合しある意図や目的の下に慎重に伝えることが「情報」だと考えている。
④各種指針の発行
保健委員会での最も重要な役割が、開校後に備えてのソフト面での準備である。長い期間をかけて慎重な準備が必要なため、1学期の閉鎖継続決定時から準備を始め、夏休み期間中に本格的に準備を行った。そこには、保健アドバイザーの方の献身的な関わりがあったればこそ実現できたことだと感じている。
イ:校内での衛生管理
エ:発症感染フローチャートの作成(校内で感染者が出た場合の対応)
などを検討し、提示資料として作成し、随時保護者に開示していった。(これらの資料は海外子女教育振興財団主催の研修会「AG5」に共有させていただいた)
また、登校の指針などは、現地の州の考え方や感染状況で随時訂正されるので、それに応じた変更が常に必要になってくる。こうした点では、校内の職員だけでは到底行えない点であり、医師免許を持ち感染症に深い識見を持つ保健アドバイザーの力は大きい。
(4)事務部
事務部の職務の困難さは、オンライン授業の決定時から、一挙にピークに達した。
本校は、保護者との通信手段は、電話とメールであったが、メールは学校代表メールしかなかったためである。各個人と担任とを直接つなぐ手段がなかったため、全てに事務職が介在せざるを得なかったためである。また、宿題や家庭学習の受け渡しも、事務職員経由で行ってきたため、オンライン授業時も同様の対応になったためである。
校長不在の学校で、学校を背負って立ち、外部には学校を代表する立場で責任を持って答え、保護者には適時適切に対応してくれた。学校の閉鎖中は、正に事務部こそが学校であった。管理職と職員・職員と保護者・職員と運営委員会を結ぶ要となって活躍した。
(5)学校運営委員会
校長不在の間の学校運営を一手に行ったのは、運営委員会である。本校の運営委員さんは、皆さん重要な現職がおありになる方々ばかりである。その上での本校の事実上の経営である。どのように学校を閉鎖し、閉鎖を解除するか。職員の給与はどうするか。子供達の授業料はどうするか。オンライン授業をどうするか。などなど話し合うべき点はたくさんあった。
その時々の運営委員の皆さんのご苦労はすさまじいものだったと思う。私はこの会議に日本から参加したが、毎回2~3時間にも及ぶ長時間会議であった。
ことに、閉鎖の延長を決めた会議や、閉鎖の解除を決めた会議は重要な会議であった。両方とも私は国内待機中であった。仮に、校長の交代年度ではなかったら、交代時期でなかったら・・・少しは苦労は違っていたと思う。悪い偶然が重なったことで運営委員さんには大いに助けていただいた。
私がひたすら考えたのは、学校を愛するという気持ちでこの委員さん方に負けないようにしたいということだけだった。
5.関係機関との連携
(1)文部科学省
不適切な申し上げ方だが、私は、今回のコロナの被害者の一人が文部科学省であると思っている。緊急事態宣言への対応は、全ての教育機関・施設に及び、そのとりまとめが文科省であったし、何よりも東日本大震災の時と大きく違うのは、志村けんが亡くなるまでは、被害が目に見えないため身近とは感じられなかったし、教育は行政サービスの一つという地方行政や住民感情の変化がある。
国内の対応でさえ困難を極めたのだから、情報が得にくく、いわゆる一般的な「教育行政や学校文化」とは違った背景を多様に持つ在外の教育関係者を対象とした在外教育施設への支援は、並大抵の仕事ではなかっただろうことは容易に予測がつく。私達がある程度分っている自校のことだけ考えるのも大変なのに、世界中のあらゆる違った条件の教育機関を対象にしている文科の方々のご苦労は筆舌に尽くせないご苦労があありになったことだろうと想像する。
そんな状況下にも関わらず、現地で不安を抱える方々のため、派遣再開を常に念頭に置いて、困難な舵取りを勇気を持って行っていただいた。また、国内待機の職員に、適時適切な助言や必要な支援を頂けたことは、私達の大きな励みになった。私は今回が3回目の海外派遣だが、今回ほど文科省の方々を身近に感じ、また深く感謝をしている派遣はない。
(2)海外子女教育振興財団研修会『AG5』
補習授業校は、派遣のある大規模校と、派遣のいない学校とに分けられる。規模にかかわらず、補習授業校の教員には研修の機会が多くはない。特に私は、過去2回の派遣はいずれも日本人学校であり、補習授業校への派遣の経験がないため研修をしたいと願っていた。紹介されたのが、AG5である。
参加してみると、さすが自主的に参加されている方々ばかりの熱心な会だった。この研修会から得られるものは大きく、かつ正にタイムリーな問題ばかりであった。
国内待機中には日本から参加し、派遣後はスイスから参加させていただいた。
1月のオリンピックセンターでの研修では、中村理事長さんから「ジュネーブに行く齋藤さんには、ヨーロッパの補習校のモデルとして尽力いただきたいと考えて派遣をお願いしています。」とのお話しを直接いただき身の引き締まる思いだった。そうした期待に応えるためにも、研修会には手ぶらで参加ではなく、本校で作成したものをできるだけ提供するように心がけた。
(3)全海研
派遣経験教員の大きな組織が全海研である。この組織には、10年ほど前からお世話になり、関東ブロック大会などには参加させていただいたり、役員をさせていただいたりした。こうした事態になって痛感したのは、私達派遣教員には横のつながりの組織が少ないということだった。例えば全世界の校長会はないし、校長会長などは存在しない。
私の前回は教頭派遣で中国の深センであった。オリンピックセンター研修の時に、中国派遣の教頭が多いことから半ば冗談から中国教頭会を作ろうということになった。北京の教頭に教頭会長をお願いし、メーリングリストを作った。このことが派遣後に大いに役立つことになった。情報を交換したりすることは業務遂行上無くてはならない点であったし、それにも増して「隣の学校」がない海外では、相談相手がいるということ自体が安心感につながった。ことに次の年度の新派遣の教頭が感謝してくれた。
今回の非常時には、こうした組織の必要性を痛感した。この役割をして頂けるのは全海研である。全海研は、私達派遣教師と長い歴史的なつながりを持っている。たくさんの情報と経験知、多様な人材と豊富な人脈を持っている点など、比類のない組織である。私のラインの仲間にも全海研に相談した者も多く、文科省と派遣教師をつなぐ存在として深く感謝している。
(4)派遣教員の情報の共有
オリンピックセンターでは、派遣教員同士はお互いに情報を交換する。同じ学校の者や、同じ部屋の者、同じ県の者などである。研修に行く時に初めてスマホを購入した私は20人以上の方とラインの交換をした。ラインを交換したときには、特に大した情報交換のつもりではなかった。ましてや自分は3回目の派遣で、行く先はジュネーブという安全な土地であり、不安はなかった。この研修時にたまたま面白がって連絡先を交換したことが後々大変役に立つことになった。
3月までは、普通の情報の交換で、派遣について保険がとか荷物がとかのことであった。これまでは前回と同じだった。けれど世界中で少しずつ感染が広まり、次いで爆発的に広まっていった。家内の元には配偶者研修会に参加した配偶者の任地の様子が寄せられるようになり、派遣延期の国の情報が入ってくるようになった。
3月末に派遣延期との連絡が入った。その時点では、自分が待機になったこと以外は分らなかった。そこで情報交換した仲間達に連絡した。そこで全世界の様子が次第に分ることになる。待機の様子も情報共有することで、現地との関わり方や国内勤務の実態の共有を行い、待機中の職務には大いに参考になった。また、待機中に研修に参加した先生からの情報共有では、赴任してからの学校経営の参考になった。オンライン授業についてのノウハウも知ることができた。
先行きに見通しが立たないまま待機が長期間になると、焦燥感に駆られる。校長を務める友人から学校の情報が入る度に海外を希望せずに国内転勤を希望すれば、今頃はこんな学校経営をしたかったなどと、在外派遣を後悔もしていた。その時には同じような思いの人がいるということだけでも大いに慰めになった。
私は、派遣を辞退する者が出てくるのではないかと心配した。けれど、国内待機中の私達の多くが、オンライン授業に何らかの形で参加し、それが現地との仲間意識や使命感の高まりにつながった。待機中の国内給与が支給されるということも、大きな出来事であった。
夏になって派遣が開始された頃も重要な心の支えとなった。仲間達はラインで別れを告げて次々に飛び立っていった。それを励ます人の言葉や、既に赴任された現地の方々からの言葉に在外を目指す教師の心意気を強く感じて、自分も早く赴任したいと思えるようになった。コロナの怖さを全く感じなかったのは、世界中に顔を知っている子供達や励まし合った仲間達がいるという事実だったのだと思う。
特に、赴任してからの辛い2週間のホテル待機のあった方同士の励まし合い慰め合いは、きいていて心が苦しかったが、感動的であった。この情報共有の場なくして、あの辛いホテル待機は乗り越えられなかったのかもしれない。今後の派遣者にも是非情報の共有の場を自主的に作ることをおすすめしたい。
6.まとめ
ここに書いたことの多くは、校長である私が日本で煩悶しながら国内待機していたときに、最前線での本校の職員等の活動の事実である。未曾有の出来事の前に苦悶しながら職員等が試行錯誤しながら行った事実である。
また、学校は社会から独立しては存在し得ない。多くの方々のおかげでやっと運営しているのが現実である。このレポートの主目的は、そうした皆さんの活躍ぶりをとどめておくことである。また、このことをもって、こうした非常事態での学校のあり方を考える際の参考になればと考えている。それがお世話になった皆さんへのささやかな恩返しのつもりである。できるだけ記録を元に、事実に照らして記述したつもりではあるが、記憶違いであったり、思い込みであったりする部分もあるのかもしれない。また、感謝の言葉が多く、レポートとしては些か体裁が悪く感じる面もある。訂正があれば申し出ていただき、その都度訂正していきたい。
末筆になるが、領事事務所には、赴任に当たって大変お世話になったことをあわせて感謝したい。
今回のレポートの内容は表題にあるように「第一部赴任まで」である。今後は更に「第二部開校後の学校運営」などをまとめていく予定である。
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